小さい頃の自分の事を思い出せと言われると、何故かその時持っていた怒りや、どうしていいかわからない寂しい感情を持っていた事を覚えている。
その空白を埋めるために、自分のやりたい放題、言いたい放題に過ごして友人を傷つけたり傷つけられたりした。
いろんなことが不満でそれを他人のせいにしていた。
人と比べて妬み、悪口ばかり言っていた。
しかし気持ちはすっきりしていなかった。
私の信仰
私は母親の影響で物心つくまえからこの教えの信者だった。
母親は私が生まれる10年近く前から、友人の母親の勧めで信者になったと聞いている。
神の教え等ちょっと現実離れしている気がして、本心からは信じていなかったが、時々すごいとしか思えないことに出会い、話を聞いて考えさせられ、心が落ち着き、また自分と向き合うことができて、これからも教えを信じて実行してみようとおもった。
信じる教え
数年前に友人を連れて行った時にいわれたのは、道徳の神様に近いのでは?ということ。
教えといっても、誰でも知っていることで、仏教とも似通ったところもあり、よくいわれる宗教のなにをせよ、なにをするな。
という信者以外の人と摩擦を起きるようなことは一切教えにはない。
逆に、周りとの調和を大切にせよ、という教えである。
道徳と信仰
誰でもしっている道徳であるが、それを誰もが実行できているかというと全くそうではない。
人は不安になる生き物であり、それを解消するために、自分の居場所をみつけるために人を傷つけ誰かと比べ、調和というものを忘れている。
家族がうまくいっていれば、周りの人ともうまくいく。
自分と向き合い自分を知ることは、自分のよさを一番ひきだせる。
誰かと比べるのではなく、自分の良い場所をのばし、悪いところを出さないように朝晩の祈願すること。
祈り、願うというが実際には心を落ち着かせて自分と向かい合うことであると思う。
若い頃は素直に正直に生きると、上のひとにあげてもらえる。
ご先祖様と、今生きている人、神を大切にすること
習慣的な行動
月に一度、話を聞きにいく。
ことあるごとに、不安をとりのぞいてもらい、落ち着き自分と向き合う。
朝晩、あいさつをすること。
朝は自分の悪い場所がでないように、一日が楽しく暮らせるように、夜は一日を振り返る為に。
私にとっては心を落ち着かせてもらえる居場所である。
神なのかそうでないのかはわからないが、自分一人で生きているのではないと思え、不安を感じずゆったりとした心構えで暮らせるようになった。
自分の良さがみえてきたので、人と比べることが減り、自分のよさを伸ばせる生き方を前よりできるようになった。
友人に、あなた悪口いわないよねと言われた時はすごく嬉しかったのを覚えている。
信仰によって得られるもの
自分らしく生きていられるので本当に良いと思う。
焦って、不安だらけで心が落ち着かず、人と比べたりして結局それが回りに回って周りの人に嫌な思いをさせてお互いうまくいかなくなるより、何千倍もいいと思う。
最近はまた、自分一人で決めて不安のなかで暮らして周りの人にあたっている気がするので、また落ち着いた気持ちを取り戻したい。
人はすぐに変わるものではないから、一生一緒に暮らして行きたい。
宗教とは
私は冷静に、自分の宗教を見つめている。
宗教というと、あまりよくないイメージをもっている人が多い。
でも私の神は誰でも知っている道徳を思いださせてくれる神なので本来は不安で自分がわからない友人に勧めたいほどです。
周りとの和を大切にすること。
これは誰でも知っていることだと思います。
でも不安が、劣等感が、人を受け入れて流せる心がないとできないものです。
人を嫌っていたら和を保てない。
表向きにはいいひとも相手は表向きだとわかってしまうので和を保てない。
心から自分を、相手を思いやって、受け入れないと和を大切にすることはできないので、難しいことだと思う。
日本では昔からたくさんの神がいた。先祖を敬い、周りと仲良く暮らしてきていたはずだ。
それが近年、周りとのやりとりも減り孤独を感じ相手を思いやれず人の上をのしあがらないといけないと思っている人が増えたと思う。
私が信じるものはただただ昔のように皆で仲良く暮らせるようになる調和と道徳の宗教だと思う。
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