現在自分は原始仏教徒を自称している。
それ以前は親やその一族が信仰していたので浄土真宗の一派を信仰していたとも言える。
色んな仏典を読むうちに、日本の仏教は仏教に似せた中国の道教だと言う事に気がついた。
原始仏典を読めば、何も難しい事は言っておらず、解りやすい。
それ以降原始仏教と称するようにした。
信仰のきっかけ
別に何も動機はないが、原始仏教を読み、その教えの深さ、解りやすさ、優しさに触れて、日本の仏教と距離を置く事にした。
中国由来の仏典と違い、原始仏典は判りやすい言葉で、解りやすい例えを使い、優しく教え諭すように書かれている。
ブッダが語った言葉そのままが一番易しい教えだと言う事に気がついた。
生活そのものが信仰だから、別に動機も何もない。原始仏教は人生哲学そのものだから、人生をやめる以外にやめる理由や動機はない。
日々の信仰
日々色々な事に感謝をし、肉食を可能な限り捨て、可能な限り動物性の衣類、その他を買わない、使わないようにした。
食事の際は必ず食べ物に感謝を心の中で祈るようにしている。
別にどういう事も起きないが、生活がシンプルになり、人から少し変わり者だと思われているに違いない。
常に自分を客観的に見るようになり、否定的な感情がわき出てきても、それを冷静に見つめ、可能な限りそのような感情に惑わされないように多少は自分をコントロール出来るようになった。
現在の悩み
悩みがあるゆえに仏典を読み勉強したわけで、信仰する事に悩みや疑問はない。
ただ、妻が一般的日本的な仏教徒なので、妻の行動に合せないと無宗教だと思われる事が唯一の悩みである。
この世に無関係なものなど無く、全ての命は繋がっているのだから、日々そのつながりを大切にする。
例えどんな些細なものでも大切にしようと思う。
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