中学生くらいのとき、漠然とですが、自分が何の為に生きているのか、また宇宙がどのようにして生じるようになったか考えていました。
学校では進化論が教えられていましたが、思考が飛躍しているのと、確たる証拠がない事、また生命の起源を、偶然で片付けてしまう考え方にも違和感を覚えました。
聖書がいい本である事は、母や、他の人から聞いて知っていましたが、戦争に参加した、キリスト教徒がとても多いことや、牧師が、軍隊を祝福し、聖戦といって若者たちを戦争に駆り立てた歴史を知り、とても幻滅しました。
気持ちの変化
そんな中、母が、聖書を純粋に教えているグループがいることや、その人たちは、戦争に行かなかった、つまり戦争を支持しなかったため、殺された事もあると、教えてくれました。
信仰に沿った生き方をして、命さえもなげうった人がいると聴き、深い感銘を覚えました。
それで、私もそこまでした人がいるのなら、聖書には本当に力があると思いました。
何を教えている本なのか、調べてみたくなりました。
それで、教えてもらい、自分でもよんでいくうち、理にかなっていると確信できたので、信仰にかなった生き方をしたいと思いました。
カルトではない
また私が矛盾を感じていた、キリスト教はその信者たちが、聖書にかなった生き方をしていない為だと分かりました。
どこにいても世界中でも同じ教育プログラムなので、本当に信条、教え、行いが一致している点です。
またお金儲けを目的とした宗教やカルト組織でない点も安心できました。
他の人から教えてもらって、自分も聖書を理解できたので、同じく、まだ知らなくて、聖書を知りたいと思っている人に伝えたいを思い、仕事を融通の利く仕事にし、無報酬の、聖書教育活動に参加しました。
信仰をするようになって
もちろん、奇跡的なことや、超常現象はおきません。
そんな事が起きてしまったら、それを目的に宗教に入る人もいるでしょう。
そのような事は起きず、問題も、周りの人と同じ様にあります。
でも対処する方法を知っていて、落ち着いて対処できる点で、信仰は助けになります。
信仰は私の生活の中でとりわけ大きな位置を占めています。
人生の真の目的を知って、満ち足りた気持ちです。
また神が何を意図して人や宇宙をおつくりになったかも分かり今、とても幸せです。
やめる理由がありません。
理由は、本当に人生の目的を知れて、良かったと思うし、その事を神に感謝したい気持ちだからです。
生き方によって、信仰を表明したいと思っています。
私の信仰
信仰は全ての人が持っているわけではありません。
それでいつでも、信仰を周りの人が理解してくれるわけではありません。
仕方のない事だと思います。
でもそれであきらめるのではなく、辛抱強く接するように心がけています。
神がどうお感じになり、どうしたいを思っておられるかをまず、聖書を通じて正確に知り、自分をそれに合わせて,神に喜んで頂くような生き方をする事だと思います。
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