クリスチャンホームで育ったため、幼いころから日曜日は教会へ行っていた。
信仰を自覚する以前に、自分の中には神の存在が確かなものとしてあった。
人が見ていないからと言って、正義に反すリことは決してしてはいけないと思っていたし、その様に育ってきたと思う。
信仰のきっかけ
信仰するようになったきっかけは、わからない。
中学生の頃は心から神を信じていたし、崇めていたと思う。
人とはこのように生きるべきだという信念を持っていた。
それは、親から受けた影響が大きいと思っている。
神の存在
信仰するようになった動機なんてありません。
幼児の頃から教会へ行き、礼拝に出席して聖書の話を聞いていたわけですし、家庭でも日常的に神様に感謝するといった場面があったわけです。
自分にとって神とは空気みたいな感じで、自然に存在していました。
つまり、あたりまえに心の中に信じるという気持ちが生まれていたと思います。
信仰を持つと自分の心が強くなれるというか、神の存在を信じることで自分自身の心がゆるぎなくしっかりとしていられる。
冷静で穏やかで、そんな自分に自信が持てるという感じです。
クリスチャン
一般的には、クリスチャンと呼ばれる人は会衆の面前で信仰を告白し、洗礼を受けますが、私自身は洗礼を受けていません。
具体的に自分がしたことはと言えば、教会へ行く、神に祈る、献金をささげる、教会の奉仕活動に参加するということです。
困難に陥った時、自分を励ましながら何とか頑張ろうという前向きな気持ちになれるといったことが大きいと思います。
平穏な日常が過ごせる時には、その事に感謝し、誰かの役に立てるような事をしたいと思っています。
信仰を通して得た物
信仰を持つようになってから、人との繋がりが増えて良かったと思っています。
例えば、ボランティア活動に参加して、困っている方の力になり、お礼を言われることも嬉しいのですが、ボランティア仲間と交流ができ、様々な年齢や職種の人たちと知り合えたのは、自分にとって人生が豊かになったような気がします。
自分がこの世でしっかりと生きていくために、神の存在は必要であり、謙虚な気持ちを忘れないためにも、また不可欠だと思っています。
現在の信仰
毎週日曜日に礼拝に行く事はしんどいと思います。
今は教会から遠い所で暮らしているので、それを理由に礼拝に出席していない。
それについての対処は何もできていないです。
ただ言える大切なのは神を信じるという事。
そして、信じる者は必ず救われるということ。
また、神に愛される自分でいるという事。
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