信仰への気持ち




子供の頃はただ理由もわからず仏壇の前で手を合わし、家での法事やお彼岸お盆などの宗教行事に参加しているといった感じでした。
子供心に退屈だなとは思っていました。
ただ先祖は大事なものだと感じて般若心経は空覚えをしていました。
仏教系の大学に進学し、そこで歴史や地方の民俗に接したり哲学や仏教学を学んだりして人と宗教の関わりにふれることができた。
そして実際に両親が続いて亡くなった時に信仰によって救われることがあるのだと経験したこと。

信仰が芽生えたきっかけ

父が亡くなった時に母の支えにならなければと考えた。
その時に目に見えて手っ取り早く安心させられることは宗教行事をきっちりとおこなうことでした。
またそうするには勉強することも多くあり、そこから信仰心が芽生えたのかなと思います。
両親が亡くなったときに四天王寺や大本山である高野山におまいりに行かせていただき、その神秘的な体感と僧侶の方々のはなしを聞かせてもらっておもいつめるほど信仰する必要もなく気楽に仏に手を合わせ向かい合うことが自分と向かい合うことだと聞いた。

信仰のおかげ

父母が相次いで他界したときに、四天王寺や高野山にお参りに行ったりして僧侶の話を聞かせていただいた。
また、法事やお彼岸お盆などの宗教行事をお寺や仏具店でいろいろ聞いて勉強した。
先祖の故人がいつ何回忌なのかを調べた。
父が亡くなった時に、淡々と確実に宗教行事を進めることで母を安心させられたと思います。
病気ですぐに他界することにはなりましたが良かったと思います。
また自分自身も心を少しは大きく持つことができるようになったと思います。
両親が亡くなった時にある程度は最後の親孝行ができたのではないかなと思っています。その後も義理の父が亡くなり身体の不自由な義母がひとり暮らしになるといった時に、迷うことなく躊躇することなく呼び寄せることを決断できた。

私の信仰への考え

特別な悩みや疑問はありませんが、おもいつめるほど信仰する必要もなく気楽に仏に手を合わせ向かい合うことが自分と向かい合うことだと聞いたことで、できることをやっていこうと思っています。
和をもって貴となす。
聖徳太子さんの教えは日本人が世界に誇れる日本人の基本理念だと思いますし、弘法大師さんの曼荼羅は無限に広がる宇宙の中での人とは何かと教えてくれていると思っています。
仏と向かい合うことは自分自身と向かい合うことだと思います。




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