信仰のおかげで気付けた事




宗教というものは心の中にぼんやりとあるだけでした。
お墓参りなど一般的な行事はこなしていましたが熱心な家ではなかったので、年中行事の一つとしてお墓参りやお彼岸があるような感じだったと思います。
住職さんとの出会い
身近な人の不遇の死があり、一般的な供養では成仏させてあげられない気がして親身になってくれるお寺さんを探したことがきっかけです。
そしてそのお寺さんと住職さんが本当に仏の心を持ったような方だったので、信じたいと思いました。
若くして不幸にも亡くなった兄を少しでも楽にしてやりたいと思ったことがきっかけです。
そうすることで兄が少しでも自分の近くに感じられればいいと思いました。
父と母も少しは気が楽になるのではないかと思って、お寺さんの行事などはできるだけ参加するようになりました。

教えて貰った事

そのご住職には「お金ではなく、心を使ってください」と教えていただきました。
そして家系図というものはすべて愛情の線が繋がってできているのだと教わり、会ったこともない先祖の方々も少し身近に感じられるようになりました。
今までとは違う気持ちでお墓参りもできるようになりました。
入会料などが取られるようなところではないので、とにかく辛い時などにご住職の顔を思い浮かべ心を落ち着かせるようにしました。
若いご住職ですが、仏の心を持った温かい方です。その人のような心を持てるように精進しようと思いました。
他人の少しの優しさもありがたいと感じられるようになりました。
自分の恋人や友人もたくさんの人が愛し合って家族になることで生まれたのだと思うと、より大切な存在だと感じられるようになりました。
小さなことに感謝をできるようになれるのが一番嬉しいことです。

信仰で気付いた事

今までの自分は小さな幸せに気づかなかった気がします。
それに気づけるようになってから、他の嫌なことや辛いことに我慢できるようになった気がします。
「苦なくして楽はなし」というので嫌なことや辛いことも必要なことなのだと受け入れられるようになった気がします。
昔から「神様の罰が当たる」という考えは好きでした。
人間は自分の心の中に自身を戒める気持ちがないとダメになってしまうと思っていました。
自分を律して生きることはすごく大事なことだと思っているので続けたいです。
大金を注ぎ込み、盲信的になっている人やニュースを見ると悲しくなります。
信じる気持ちは悪くない、信じる対象が悪かったのだと思います。
自分はそうならないと自信がありますが、一般的に見て「信仰=怖い」となってしまっては残念だと思います。
「小さなことに感謝すること」これは信仰に関係なく、人間が生きる上で根本的なことだと思います。
簡単なことのようで忘れがちなことですが、この気持ちがあればもっと温かい気持ちで生きていけるのだと思います。




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