母が信仰をしていた宗教に生まれたときから入信をしていたのですが、熱心に小さいころからしていたので、宗教活動を行うという考え以前のことで、これが私の日常生活にとってはあたり前の生活のスタイルになっているのです。
入信の主な理由
母親が入信していたからです。
新聞などの掲載がされている記事などを読みますと、一人一人を大切にするということになっているので、自他共の幸福を祈ることを行っている宗教なので、非常に共感を持っているのです。
平和の為に
自分らしくいるために信仰しているのですが、世界が平和になるようにということは基本ですし、自分の周りの人間の幸せを日々祈って行動をしていくことができるのが私の行っている宗教になっているので、そういった自分がどうなりたいということよりも、周りの方に幸せになっていただきたいという思いが非常に強いです。
教団の教えというもの自体が少し違うのですが、信仰をすると決めたときには、気づいた頃なので意識をしていたのかというと全く意識をしていないので、一番納得のできた教えというところはないのです。
全てが人間の本質的部分をとらえているので、すべてになっているのです。
信仰の行い
毎日の祈りを行っています。
どのようなことを祈っていくのかということなど目標を決めています。
さらには、友人たちの悩みなどもしっかりと聞きながらアドバイスをできることならアドバイスをし、助け合う心を持って行動をしています。
信仰を持ってから
色々なことが起こりました。
宗教をするから絶対的な幸福感を常に感じることになるのかというとそうではなく、そこから人間として磨いていく原動力になっていく力を出すことができるので、人としての振る舞いなどを学ぶことができるようになりました。
心こそ大切だということを学べました。
目に見えないものの力
人というのは、物理的なものを得ているだけでは幸せではなく、やはり心がとても満たされていないと物理的なものがあっても幸福感を得ることができないので、納得できますし、これからも心を磨いていきたいと思っています。
宗教を行ったすぐに幸せになるというのではなく、一生を続けていくことによって最後はどうなるのかという部分が重要になっているので、これからもこの宗教を一生続けていこうと思っています。
やはり宗教とはいっても、大きな規模の組織となっているので、どうしてもいろいろな方がいらっしゃるのです。
組織ならではの上下関係なども少し気になる部分になっているのですが、こればかりは大きな宗教なので、組織になっているので仕方がないような気がするのです。
大事なことは心
心こそが大切です。
心がなければ人間として日常生活を送っていくことができないと思いますし、本当の幸福感を持って生活を送っていくことができないと思います。
物理的な幸福感や満たされている感覚よりも、心から感じる幸福感を感じていくということが大切だと思います。
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